【7社目】自己否定からの「憧れ」は身を滅ぼす【パチンコ店員転職物語】

カテゴリ

転職活動を初めて1ヵ月ほど経つがまだ慣れない。面接も7社目になる。

前回のリモート面接にもことごとく落ちた状況で息も絶え絶えだ。しかしアポは待ってくれない。この面接が後に一つの転機となるわけだが、この時点ではなにも知らない。

自分を知らない僕は、自分を見つける方法の一つに気づきを得ることになる。

前章はこちらから

高層ビルにて

地上60階建てのビルのなか高速エレベータで45階へと向かっている。都心も都心。まさに中心部にある、一番背の高い建物。たまに都心まできては「あの中はどうなっているのだろう」となんとなく見上げていた建物にいまいるのだななどとなんとなく考える。高速エレベータの滑るような浮遊感が気持ち悪い。窓の外を見ればその高さに足がすくむ。ひざが笑うのは緊張のせいもあるのだろう。大きなビルにあるくらいなので、会社も大きい。場違いなところに来てしまったのかもしれない。

ロビーに入る。45階のフロアすべてが、面接する企業のものらしい。家賃は一体いくらなんだ。「採用面接の方はこちら」の表示があったので矢印が示す通りに向かう。入った一室にあった電話を手に取り、面接に来たことを伝えた。そのまま奥の椅子で待つように言われたので、そうする。大きな窓があって街が一望できた。エレベータでは景色を見る余裕もなかったが、素晴らしい景色だと思った。

置いてあった資料を手に取る。面接に来た人に向けての小冊子らしく、これまでに入社した人物について紹介されていた。人物像は多岐にわたるが、高級官僚やらパイロットやら、いずれもエリートと呼ばれる人たちばかりだった。あとから思えばあえてそんな冊子にまとめられるくらいなのだから、特筆すべき経歴がある人物ばかりを挙げているのだろう。しかし、それを読んでやはり場違いだとおもった。そんな会社は肌に合わないだろうと思う。

でも、もし、ここに入ったら輝かしい経験ができるかもしれない、とも思う。

面接失敗

しばらくして面接官が入ってくる。年若く精悍な印象だった。やや薄い紺色のスーツは着丈に合わせて拵えたものであるようで、すっきりとした印象を受けた。短く刈り上げた髪は爽やかではあるが、やや強い印象を受けて物怖じした。いわゆる体育会系といった風貌だ。目の奥が光っているようで、これも少し怖い。

以前勤めた不動産会社の上司を思い出すようだった。同業界であるとやはり同じような人間集まるものなのだとふと思った。

会社説明を受けて定番の質問を受けた。とにかくその企業は年収面において強い自信があるようだった。そこで自分の希望を伝えたりもしたが、どうもその返答がいまいちだったらしい。

あなたの年齢でそれだと周りに比べて弱いと一蹴された。「ここの支社で一番偉い人はあなたよりも年下ですよ」と。また年齢か。そんなに重要なのだろうか。一般的な指標であることは理解できるのだけれど。

なにをもって「個人を尊重する」だの「人物重視」だのという言葉を並べているんだろうか。結局は年齢だとか社歴その会社の平均年収、勤続年数だとかそういったものでしか測られていないじゃないか。やりたいこととか得意なこととか、どういった関わりを持っていけそうだとか、未来について考えられないのか。そう毒づきたくなった。

だから開き直ることにした。はじめから場違いだという感覚はあったし、多分ここは肌に合わない。面接も回数を重ねてだめなんだなと思う瞬間は味わってきた。今この瞬間ぼくはもうだめなんだとわかった。

開き直ると自分が見えてくる

「では僕はどうなったらいいでしょうか?」と質問してみた。

「どうなったら活躍できますか。」
「どうしたら必要とされますか。」
「どういう人物像を求めていますか。」

どういう反応をされるかとは考えなかった。開き直り。そのとき思ったことをただ口にしてみた。今思えば、僕にとってはそんなことは珍しい。

いつでもこれを言えば、相手はこんな反応をするだろうとか。これは言わないほうがいいだろう、なんてことを考えて話す癖がある。たぶんそれは僕が人間関係を構築する上で、良い方向に働いていることが多い。だからこの開き直りは僕にしては思い切った行動だった。端的に言えばキレていたんだろう。

でもそんな僕の態度を見た、面接官は意外にも冷静で、それまでとは違う反応を見せた。ことごとく質問に返してくれたし、率直に忌憚のない意見をくれたように思う。多分面接官も僕が開き直ったことを悟ったのだろう。

あなたはどういう業界がいい。
さっきの質問はこう返したほうがいい。
そう思うなら返答を変えたほうがいい。
言わなくていいことは言わないのも大事。
面接官は何を言うかだけじゃない、なにを言わないかも見ていると。

驚いた。開き直って口を突いて出た言葉に。その直後「やってしまった」と思ったのに、そんなふうに返してくれたことに。そして意外にも楽しそうに語ってくれたことに。さっきまでとは違う、腹の底から話してくれているような感覚さえあった。

ああ、僕はもっと思ったことを言っていいのかもしれない。完璧に用意しようとしても、その質問が全て予想できるわけではないし、用意した答えが望まれるものではないかもしれない。口を突いて出た言葉で話すのは短絡的だけど、本当に考えて本当に聞きたいと思ったことは言っていいのかもしれない。

頑張ろうしているのは事実で、頑張ろうとしている人を人は応援したくなるものだから。

正しく憧れる

結局一時間くらい僕は聞きたいことを聞いてみた。その結果気づいた、この人は考え方や生き方が全然違うと。以前勤めた会社でも面接官に似た人たちがいた。そして僕はそういう人たちに憧れた。

自分に自信があって、他人のことを意にも介していないような人に。それは、自分にはないものだったから。だから憧れた。

でもそれは憧れというよりも「ないものねだり」だったんだとも気づいた。自分の「延長線」にいない人たちだったと思う。そこでよく振り返ってみた。僕の人生では、あまり魅力的に見えない人たちもいた。地味で面白みのない人で、こんな風にはならないと強く思った。

でもそれは自分にあるものだったから、魅力的に見えなかったのかもしれない。自分に持っているものは魅力的に見えない。だからそこに憧れはなかったのだ。僕は魅力的に見えない人をもっと見るべきだった。それは自分の延長線上にいる人達で自分が目指すべき姿はそこにあるのだから。

強い人になりたいと思っていた。自分の意志を押し通せる人物でありたいと。周りを気にするばかりではなく、関わる人間を変えられるような人に。それが僕の理想像だった。

でもそれは絵空事で、僕が目指すべき道ではなかったかもしれない。そういう人物になることも不可能ではないのだろうけれど。それはとても困難な道だ。もっと自分にあった、楽な道を選んでもいいのかもしれない。

その視点で考えると、今の職場であるパチンコ店でも、自分を強く持った人ばかりだと気づく。「君はもっと我を通していい」というようなアドバイスばかりを受けてきた。色んな人にそう言われるからそれが正しいと思ってきた。僕が間違っているのだと。

調和や協調、平和と協力、助け助けられる環境であるべきだという僕の考えが間違っているのだと思っていた。でもそれは間違いなんかじゃなかった。支配や強いリーダーシップも大事だが、それはそういう人たちの処世術だ。そういう人たちは、ぼくとは違うレールを走っているのだから。そこに合わせる必要なんてなかったのだ。

アドバイスをくれたのは、もちろん僕のことを想っての言葉だった。僕がどうなればいいか、親身になって考えてくれていたとも思う。でもそもそもの生き方が違うのだから、僕の考えを理解することはできなかったのだと気づいた。

そこで、やはり環境を変えるべきだとも思った。なんとなく環境を変えたいと思って始めた転職活動だが、決意に近いものが見えた。今いる環境で芽が出ないのも当然なのだと思った、考え方が違うのだから。熱帯で寒冷地の花は咲かないように、花が咲くには適した環境がある。

だから進むべきだ。自分の考えに近いところへ。

結果

当然ながら、結果はお見送りであった。「視座が狭く入社がゴールとなってしまっているため」と書かれていた。

面接後、面接官はエレベータまで見送ってくれた。結果についてはなにも言わなかったが、応援しているというようなことも言ってくれた。それは「あなたは落ちている」という意味だったけれど、その応援は心から言ってくれているような気がした。

言いたいように言っていいんだと、初めて実感した。自己啓発本には度々書かれていた言葉だったが、どうにもうまくできなかった。防衛本能のようなものが邪魔をして、ただビビってばかりいたんだろう。

言いたいことを言う
本心で話す
自分に合わない人に憧れない
自分の延長線にいるのかを判断する

なにかきっかけをつかんだような気がした。自分が進むべき方向は自分に合っているかどうか。僕が選ぶんだ全て僕の意志で。

コメント

タイトルとURLをコピーしました